モンスターハンター・サブストーリー「灼華繚乱」
7 :楔
荒れ狂う炎風が肌をく。
己の下に椿を庇いながら、アークは引きれる肌の痛みに悶えていた。
鎧のお陰で直接焼かれてこそいないものの、浸透する高熱は容赦なくアークを苛む。
熱い。痛い。体全体が焼け縮れる様だ。
声も出せずに耐えるだけのアークの背に、ふと、冷たい感触が触れる。

(何だ――?)

急速に冷やされる感触。あれ程体を苛んだ熱の一切が取り払われていく。

(こいつはいよいよ、死んだ――かな――?)

縁起でもない想像をしながら、アークの意識は闇へと沈んで行った。







まどろみの中に居るような、浮遊感を伴う意識。

自分は何者だったか、何を成すべきなのか。
――何だっていいか。

何をしていたのか、どうなっていたのか。
――どうでもいいか。

何かを思い出さねばならない様な感覚はあるが、それが何かはわからない。
無音にして無景。霞掛かった世界の中で、自我すらも思考を拒否している。

(……じん!)

霞んだままの世界の中に、割り込んでくる音があった。

(ご……人!)

何だ。

(……、ご……人……!)

俺を呼ぶのは誰だ。

(起き……ニャ。ご主人!!)

知っている声のような気がする。遠く霞んで聞き取り辛いが、慣れ親しんだ響きの声。

(ツバキさんが大変ニャ!さっさと目を覚ますニャ!!ああもう……ボケご主人!!)

五月蝿うるさいぞ、アホ猫め……!
目を開ける。
全身に引き攣れる様な鋭い痛み。体のあちこちから焦げた臭いがするが、周囲は涼やかなものだ。
口を開かぬまま思考を回転させる。目覚めたばかりで鈍い頭は、状況を掴むのに数秒を要した。
粉塵爆発で気を失っていたのは間違いない。現在位置は……先程の広場の端にある岩陰のようだ。シラットが避難させてくれたのだろう。
骨折は無いようだが、打撲や火傷がかなりあるようだ。

「……痛てぇ。」
「ご主人……目を覚ました第一声がそれかニャ。」
「仕方ねえだろうが。ツバキは?大変ってどういう事だ?炎龍はどうなった?」

矢継ぎ早に状況確認の声を上げながら、椿の姿を求める。

「そ、そうニャ。ツバキさんが一人で戦ってるニャ!」
「何!?」

一瞬、脳裏に凄惨な光景がちらついて背筋が凍る。
嫌な想像を必死で打ち消し、痛む体に鞭打って岩陰の端へと移動した。
短距離の移動だけで気絶しそうな痛みを訴える体を無視し、必死に岩陰から身を乗り出す。

「なん……だ、アレは?」

視界に飛び込んだ光景に絶句する。
紅い影が、あけに染まる炎龍を翻弄していた。
視界を失い、匂いと音を頼りに攻撃を仕掛ける炎龍。
その行動を把握し、見切り、着実に攻撃を重ねる椿。
撃龍槍によって穿たれた傷痕を双焔が抉る度、朱色あかいろの血飛沫が舞う。
立ち昇る気のあかと舞い散る血のあかとが絡み合い、双刃の剣舞を彩っている。

「あの、天才め……!」

見惚れる程のその動きに、思わず言葉が漏れる。凄絶な光景であるにも関わらず、その光景はいっそ芸術的ですらあった。
しかし――事態が楽観できるものでは無い事も、アークには良く解っている。あれ程の動きに体がいつまでもついていける訳が無いのだ。

「急がねえと……っ!?」

助けに出るべくハンマーを掴んで、意識が白む。すんでの所で気絶こそしなかったが、痛み切った体はまともに動くことを許さない。

「ちっ……大分ポンコツにされたな。」
「ご主人、これ使うニャ。」

忌々しげに吐き捨てたアークの裾を引っ張りながら、シラットが一つの小瓶を差し出した。
にが虫を煮詰めた、例の丸薬である。

「ツバキにやった気付けじゃねえか。」
「何かの役に立つかもって、ツバキさんから預かったニャ。アンタなら……コイツで気絶さえ防げば戦えるハズだよニャ?」

真剣な眼差しでこちらを見るシラット。どう考えても無茶な要求だが、シラットはそれを承知で言っているのだろう。
数々の狩猟を共にした相手にだからこそ出来る、信頼と無謀の入り混じった要求だった。

「出来ないとは言わねえよ……しっかし、毎度無理難題ばかり言ってくれるな?お前は。」
「ボクのご主人はそれを通すヒトだからニャア。」

ぼやくアークに、誇らしげな表情でシラットが応える。早くするニャ。と促された小瓶を手に取り、一度に3粒を口へと放り込んだ。

「……相変わらずえぐい味だ……。」
「と言うより、3粒も食べてよく気絶しないニャァ。」
「こうでもしないと意識が保たねえんだよ。」

言いながらハンマーを手に取り、杖代わりにして移動を始める。
体中から上がる痛みという名の抗議には耳を塞いだ。この討伐が終わったら、いくらでも休めばいい。
今はまず、椿を救わなくては。
負担をできるだけ抑えて戦場を目指す間にも、刻々と戦況はうつろう。遠目には見えなかったが……椿の表情には余裕が感じられなかった。
恐らく、限界が近いことを悟っているのだろう。烈火の如き攻撃は、その裏返しにも見える。
案の定――いくらもしない内に破綻が見えた。
急激に速度が鈍り、攻撃から滑らかさが消え失せる。炎の王を侵食しつつあった烈火の剣舞は、一気にその勢いを失いつつある。
気の衰えは感じられないが、動きの中に迷いが混じっている。あれではいずれ、炎龍の攻撃を受けてしまうだろう。

「耐えろよ、ツバキ……!」

願う様に呟いた、その矢先。
炎龍の爪が兜を掠めた。直撃を避けこそしたものの、椿の足から力が抜ける。

「ツバキっ!?」

それこそが、異変の始まり。
うぉん。と。
周囲の空気がいた。
同時に、椿の動きが回復する――いや、激変する。
双焔の一撃は分厚い龍鱗りゅうりんを裂き、見る間に動きから無駄が削ぎ落とされていく。

「どういう……事だ?」

痛みと苦味で幻覚でも見ているのだろうか。
洗練され尽くした動きは、「まるで別人」と言うよりも「完全に別人」である。その動きは、並の上位ハンターを遥かに上回る水準にまで研ぎ澄まされていた。
駆け出しの……あまつさえ今の今まで瀕死のていであった椿に、このような動きができる道理が無い。
鬼人化に練り込まれた気の質すらもが、違う。

「あれじゃあまるで……アヤメじゃねえか。」

進む足だけは緩めぬまま、脳裏に走ったイメージを口にした。
今の椿の姿は、ある人物を強烈に連想させる。

蛍天けいてん 菖蒲あやめ

アークが幼い頃、何度もその名を耳にした女性ハンターだ。
並ぶ者無き双剣の名手であり、その美貌と相まって当時のドンドルマでは1、2を争う有名人だった。
およそハンターを志す者で、彼女に憧れを抱かない者は居なかっただろう。
堅気の夫と共に遠隔地へ派遣されたと聞いて以来彼女の行く末は知らないが……その名ハンターの姿が、何故か今の椿と被る。

(何故か。じゃねえか。)

幼い頃の記憶故に忘れていたが……確か彼女には、自分より少し年下の娘が居たはずだ。
恐らくはそういうことなのだろう。それならば、あの馬鹿げた天稟てんぴんにも納得が行く。

「あの人の娘……ね。」

何かの切欠で才能が一気に花開いた、と見るべきなのだろうか。
それにしては、何か様子に違和感を感じるが……

「げっ!?」

違和感の正体に気付いて愕然とする。椿の目から、意思の光が消えているのだ。

「あいつ、失神したまま……!起きろおい、ツバキ!!」

声の限りに叫び、椿の意識を戻そうと試みる。
要するに今は、意識を失って潜在能力が表に出ている状態なのだろう。動きとしては意識のある時の比ではないが、意識の無いまま攻撃を受けることの重大さもまた、言うまでも無い。

「ツバキ……起きろツバキっ!!」
「!?」

声が通じたのか、椿の瞳に生気が戻った。ようやく戻った意識の代償と言わんばかりに、動きも一気に鈍くなる。

「目を覚ましたか!ヒヤヒヤさせやがって……!」

鬼人化を解除して懸命に後退する椿を、こちらも速度を上げて迎えた。

「ごめん……ねえアーク、聞いて――最後の賭けよ。」
「賭け?」

唐突な切り出しを訝しむアークに頷き、椿は口を開きかけて逡巡する。
困惑の表情が、椿自身の迷いをアークに伝えた。

「詳しく説明してる時間が無いけど、鬼人化の影響で私の体がもう保たない。だから……最後に全力の鬼人化で仕掛けるの。」

もどかしげに説明する椿。全くもって要領を得ない説明ではあるが、椿には妙な確信と決意があるように見える。

「ワケの解らん事を……。意識飛んでる最中に、何かあったな?」
「あったけど……信じられないような話。」

そう言って口篭る椿。
正直、決断を迷う。
椿の体へのダメージを考えれば、決して乗れない賭けだ。
しかし、意識を失った椿は何を見せた?正に常人の域を超えた鬼人化では無かったか?

「ったく。無茶ばっかり言いやがって……。」
「ごめん。でも、きっと上手く行く……と思う。今、あたしの中で何かが凄く噛み合ってる感じがするの。」

申し訳なさそうに、それでもはっきりと。
眼にあの強い光を宿らせて、椿は断言した。
使えば自滅の賭け事――。
昨日、アークはそう判じた筈だ。その判断に間違いは無かった筈だ。

(しかし……)

彼女の気絶は制御の問題だけでは無い気がすると、そう疑問を抱いたことも紛れも無い事実だった。

「なあ、ツバキ。一つだけ聞かせてくれ。……お袋さんの名前は「アヤメ」か?」
「え?そうだけど……何で知ってるの?」
「やっぱりか。まあ……詳しくは後で話す。」

きょとんとした顔で問い返す椿に、アークは肩を竦めて答える。

「で、俺は何をサポートすればいいんだ?」
「え?じゃあ――」
「ああ、お前の無茶は俺がフォローしてやるよ。秘策なんだろ?」
「本当に?」
「ややこしい奴だな……ほら、時間が無えんだろう?その代わり……必ず生きて帰るからな。」

アークの言葉に強い頷きを返し、椿が炎龍に向き直る。
満身創痍の二人に襲い掛かって来ないのは、炎龍もまた瀕死の状態だからだろう。
襲い来る敵を迎え討つ為に、全霊を賭して待ち構えているのだ。

「作戦って程の物はないけど、目の傷を通して頭を潰すのが一番早いと思う……。鬼人化したら一直線に突っ込むから、合わせてくれる?」

緊張を滲ませた椿の声は、微かに震えている。

「任せとけ。きっちり合わせてやる。後の事は俺が面倒見てやるから、全力で突っ込め。」

小刻みに震える椿の肩を抱き寄せて請け負う。決意を固める様にもう一度頷いて、椿は身を離した。

長く、静かに。
水の底に潜るかの如く、椿は深い呼吸を繰り返す。
呼吸の度に満たされる気は螺旋を描き、椿の隅々へ浸透していく。
幾度目かの深呼吸を終え、強い力が椿の裡に収束される。
激しさの無い、静まり返った力の束。
それは、先程までの燃え盛る力よりも強い圧力を感じさせた。
程無く、臨界を迎えた気は鬼人化を成すべく立ち昇る。

「まだ……」

ぼそり。と呟いた声と共に、炸裂しかけた力がするりと鳴りを潜めた。

「深く。深く。強く……」

うわ言の様な呟き。その度に練り込まれる気の密度が濃く、強くなる。
本来ならば暴発してもおかしくない量の気を、椿は見事に操っていた。

(こいつは……)

椿から感じる気の質は、意識を失った際に見せたものに近い。
静かなる集中の内に、やがて呼吸すらもがその気配を薄れさせ……椿の表情は瞑想のそれへと近付いていく。
静謐な湖面を思わせるその静けさの終わりは、唐突に訪れた。
ふ、と。半眼だった椿の瞳が開く。

「お。」

炸裂を呼び起こす単音。通常では考えられないほどに練り込まれた気が、椿の中でついにぜる。

「ああぁぁあああぁああああっ!!」

尾を引く叫びに導かれ、椿の体を紅が覆う。
驚いた事に、椿は意識を失うことなく両の足で大地を踏み締めていた。

「賭けはノッたか!?」
「うん。でもきっと1分も保たない!一気に決めるよ!」

アークの問いに答えるが早いか、椿が駆け出す。
追おうとして一瞬引き攣った足に拳で一喝をくれて、アークもまた弾丸の如く地を蹴った。

「かあぁっ!」

一声吼えて、全身を覆う疲労感と痛みを黙らせる。炎龍と二人の間はすぐに詰まり――
椿が仕掛けた。
音を頼りに繰り出される迎撃の前足を閃光めいた速度で回避し、顎下から刃を走らせる。
喉を捕らえる屠龍とりゅうの双刃。硬質な裂音が響き、傷口から血が噴き出す。
声にならない苦鳴を上げて仰け反る炎龍。その翼が大きくはためき、辺りに粉塵を振り撒いた。

「そう、何度も……っ!」

一瞬遅れて駆けつけたアークが、ハンマーの先に椿を引っ掛ける。

「喰らうかよっ!!」

全力のスイングで椿を放り投げ、安全圏へと緊急回避。首筋に熱気を感じながらも、間一髪で回避を成功させる。

「助かった!ありがとう!」

駆け寄って礼を言ってくる椿に片手を挙げて応え、再び突撃体勢を取る。

「アーク、待って!」
「どうした?」
「さっきの……間を詰めるのに使えない?」
「……なるほどな。」

椿の意図を読み取ってスタンバイ。腰溜めに構えたハンマーに、椿が足を掛ける。
距離を稼ぐため、小走りに駆け出す。椿を乗せたハンマーは通常の倍近い加重があるが、一振りだけなら何とかなるだろう。
炎龍との距離が詰まる。「発射」のために姿勢を整えた椿が、アークの肩へ合図を送る。

「行……っ!」

本日最大の勢いで踏み込み、勢いを殺さずにハンマーを揮う。

「けえぇっ!!」

全身の筋肉を締め上げ、頭上に到達した瞬間にハンマーを停める。
その勢いに乗ったまま、椿がハンマーを蹴った。
尋常ではない反動を堪えてハンマーを保持。発射台と化したアークから、一条の赫光かっこうが撃ち出される。
ただ風を裂く音のみを後に従え、椿の構えた双焔が炎龍の眼窩がんかへ突き刺さった。
足音も無く加えられた痛撃に、掠れた声で炎龍がく。
混乱した様子で椿を振り落とし、その翼が羽ばたいた。

「遅い!!」

逃げに入った炎龍に、アークが追い付く。潰れた眼にもその殺気の塊は映ったのか、炎龍がびくりと身を震わせる。

「弱みを、見せたな――?」

アークの口許が獰猛に歪んだ。

「貴様の……!」

蹴り足から踏み込み足、腰、肩、腕、そして戦鎚へと全身の力を伝播させる。

「負けだあぁあっ!!」

同時、炎龍が前足を繰り出した。
起死回生のその爪、着弾のいとまもあらばこそ――
影すらも追えぬ速度で振り切られた戦鎚が、眼窩から突き出た双焔の柄を打突した。
そのまま前進する鉄鎚に押され、双焔の刃が眼底がんていを突き割って脳漿のうしょうを掻き回す。
埋め込んだ刃を楔とし、ハンマーが頭骨とうこつを割り進む。地面へと叩きつけられた炎龍は開いた口から舌を零れさせ、激しく痙攣する。
数秒を待たずに痙攣は収まり、最後に力無く一声だけ啼いて……炎龍は遂にその心臓を停めた。

「やった……の?」

緊張の糸が切れたのか、椿が力なくへたり込む。

「ああ、ようやく……だな。よくぞ勝てたもんだぜ。」

アークもまた、どさりと地面に尻餅を突いた。無理を重ねたツケだと言わんばかりに、体中が引き攣っている。
大の字に倒れたアークの視界に、シラットがひょっこり現われた。

「ご主人、ツバキさん!待たせたニャ!」
「おう、どこ行ってたんだ?」
「ボクの手に負える状況じゃ無かったから、救急セットを取りに戻ってたニャ。」

尋ねるアークに、シラットは手にした木箱を掲げて見せる。ギルドのシンボルが刻まれた救急箱に、何やら後光が射している気がした。
手渡された回復薬と秘薬を飲み下す。戦闘でカラカラになった喉に粉末は辛いが――これで明日にはある程度まで回復するはずだ。
軋む体を何とか宥めて立ち上がる。いつまでも倒れていたいが、そうも行かない。

「さあ、素材の切り出しやっちまおう。」

腰が抜けた様子の椿に手を貸して、炎龍の解体に取り掛かる。
鱗、翼膜よくまく、爪……さすがに大物だけあって、切り出す素材はどれも特上の品ばかりだ。仲買商が思わず唾を飲むような逸品達である。

「さて、宝玉は心臓付近にあるはず……と。」

宝玉が形成されるのは胸部の一角、心臓の付近だ。
切り開くと、真っ赤に染まった内臓が顔を出す。
素材として取引対象になるものを保存しながら、心臓に辿り着き――
しかしそこに、燦然さんぜんと輝く宝玉の姿は無かった。

「えっ?」

思わず椿が声を漏らす。

「宝玉……は?」
「心配するな。心臓の隣に宝石みたいな玉がはまってると思ったのか?」

膝が落ちた椿を横に座らせ、心臓をあばく。

「この心臓も精力剤として売れるんだよな……っと。これだ、これ。」

心臓の裏側に隠れている、拳大の袋状器官を切り出す。

「宝玉ってのは、長い年月の内に血液の成分がこの袋に溜まって凝固したものなんだとさ。つまり、コイツを開ければ――」

少しだけ勿体を付けて、袋に刃を入れる。
中から、血のそれよりもさらに紅い玉が顔を出した。

「宝玉のお出ましってわけだ。報われたな……ツバキ。」

服の裾で軽く拭いて、椿に手渡してやる。

「これが、炎龍の宝玉……」

血を拭い去られて燦然と輝くそれを呆然と眺める椿。
その瞳が、ふと潤んだ。

「やっと……、やっと……っ!」

涙を流しながら宝玉を抱き締める椿。その様子を少しだけ眺めてから、アークは黙々と解体作業に復帰した。


終 :凱歌へ→

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